独り言 2
約2年も更新していなかった校長日記。すみませんでした。これからはちょくちょく更新します。期待しないで待っていてください。
小学校の教育としぜん学校の教育について、活動日の朝のミーティングで話したことがあったのですが、今回はそのことについての独り言です。あくまで独り言なので誰かに宛てたメッセージとかではありません。さらっと流してください。
朝のミーティングの時のことです。その日は低学年の自然組の日。子ども達の何を育てようとしているのか?その日はそんな話をして活動に臨んだのですが、しぜん学校で大事にしたいのは、心のコミュニケーションです。心を本音と書き換えるのがわかりやすいですね。1年の教育課程はまだ作れていないのですが、1年の流れは考えています。その中で子ども達は何を学ぼうとしているのかよくよく観察して次の活動の方針を決めます。大きくは5つの段階(ステージ)があり「生命維持ができる」「安心を望んでいる」「友達が欲しい」「友達(集団)に認められたい」「活動(やりたいこと)を創る」といった感じです。そこで肝となるのが本音です。
心のままにいられることはその子の状況、心情をそのまま言動に変えてくれるのですが、小学生ともなるとそれがなかなか難しいようです。普段の生活の中で、自分をそのまま出して受け入れられる環境が少ないのでしょうね。これはこれで大きな問題だと思うのですが、とにかく関わる大人の「正しさ」「拘り」「立場」等、子ども達の本音に蓋をしてしまうことがあるようです。本音を隠したまま活動をしていると、全然違うステージで遊んで(学んで)一向に自分は満たされない。いつまでも不安がつきまとうなんてことがあります。その時のその子の望みに合った活動(教育)をしていくことで認知の変化を生み、成長は促されていきます。それを繰り返して人格の形成をしてくのです。心のままにいられること、この安心感が子どもにとって生きる土台になると言っても過言ではないと思います。
ですので、しぜん学校ではその事に重きを置きながら最長で8年間(年中から小6まで)をかけて、ながーい目でその子の成長に関わります。
小学校いわゆる学校教育とは何でしょうか?
教育基本法と学校教育法を基盤として作られた教育課程です。詳しくは小学校学習指導要領を見てみてください。特に教育基本法は素晴らしいです。
ほんとにざっくりと言うなら
(1) 知識及び技能が習得されるようにすること。=何を理解しているか、何ができるか?
(2) 思考力,判断力,表現力等を育成すること。=理解していること、できることをどう使うか?
(3) 学びに向かう力,人間性等を涵養すること。=どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか
このことを学習する場が小学校だということが書いてあります。どのように学習していくのかは学校の特色や担任の先生によって手法は様々あると思いますが、学校教育もしぜん学校も目指すものは一緒だと思っています。
では一体小学校の教育としぜん学校の教育とでは何が違うのでしょうか?それは、道筋だと思います。学校は授業を主体として学習をしますが、しぜん学校は遊びを主体として学習をしています。あとは子どもとの距離感でしょうか?僕はようちえん時代の年少さんから小6までの9年間もしくは、小1から小6までの6年間がケースとしては多いですね。(こども園になってからだと0歳から小6の12年間もその子と関わり続けることになるわけですね。すごい。。。)まあ可愛くて仕方ない感じの親心まで持っちゃいます。
何が言いたいかと言うと、結局のところ同じものだということです。ですが、そこに少しの違いがあるのは確かです。例えば、学校での学習とは基本的には答えが決まっていて、正しい答えを学ぶこと(受ける)ことの時間が長い。しぜん学校では、大体答えはいく通りもあり、遊びを創る(発信する)ことの時間が長い。でもこれってどちらも大事なことだと思うんです。そんな小学校としぜん学校とのギャップが大きくて疲れる子もいるわけですが。笑。正しく教わることだけでは不十分だし、ずっと子どもだけの世界で遊んでいるだけでは社会と繋がりません。もちろんいろんな学習があっていいですし、学校という枠に収まらずに困っている子がいるのも確かですが。小学校が始まったのは明治初期。義務教育と言われる今の小学校の制度が整ったのが昭和22年。まだ74年なんですよね。しぜん学校は12年。どちらも、まだまだ成長途中です。これからどんどん認識は広がり良い教育とは、子どもにとって良い成長とはどういうことなのかが常識として受け入れられていくのだと思います。僕もこんな歳になって勉強し直して、正しく教わっているところなのですが。
教育は国としての義務であり、国民の権利です。その子がその子らしく成長するためにより良い教育を受けられるための社会をつくっていきたいですね。