罠を仕掛ける?
ここ2回ほど、雪で遊びつくした子どもたち。
日常とはちがう銀世界で、いろんな遊びを通じて、一段とそれぞれの距離が近くなった気がします。
そんな自然組の活動も、合同キャンプを除けば、今回(2/26)を含めあと2回。
少し前から、「罠を仕掛けて、掛かった獲物の肉を食べよう。」という話が出ていました。
それは、もし鹿や猪が罠に掛かったら、心臓を突いてとどめを刺し、解体するということです。
普段、スーパーとかで精肉を買って食べますが、その過程をあまり意識することはありません。もっと昔は、そんなこと言ってられなくて、体験する機会も多かったと思うんですが、現在は、誰かがやってくれていて、それに関わらないのが当たり前のようになっています。
朝の会で、罠を仕掛けるかどうかを、みんなで考え、話しました。
「かわいそうだから、やりたくない。」
「やってみたい。美味しい肉を食べたい。」
「強くなりたい。」
「とどめを刺すのは、出来たらやりたくないんだよ。」
どれも、率直な気持ちです。
大切な命をいただくのだから、自然組として、やりたくない子がいて、気持ちが背を向いているのなら、その命は無駄になってしまうのではないか?
「自分のことだけではなくて、みんなの気持ちも考えてみよう。」
いろんなことに向き合う大切な時間が過ぎていきました。
もう一度、みんなに聞いてみると、ほとんどの子に、
「かわいそう。」「やってみたい。」
両方の気持ちが混在しています。
はじめに
「かわいそうだから、やりたくない。」
と背を向けていた子が、
「見ているだけだったら、やってもいいよ。」
そして、
「やりたい。」
と勇んでいた子が、
「やりたくない子がいるなら、やらなくてもいいよ。」
と発言しました。
自分のことだけじゃなくて、みんなの気持ちを思ってのことでしょう。
「決めかねたときは、神様に決めてもらうことにしているんだ。」「もし、罠に掛かれば、これが必要だったということだし、掛からなければ、そうじゃなかったとして受け入れよう。」
気がつけば、朝の会が始まって一時間ほど経っていました。
みんなで、お弁当と味噌汁をいただいてから、原っぱ森川猫じゃらしに、くくり罠を仕掛けに行きました。
来週、結果はどうなっているかわからないけど、”自然組のみんなで、この一年の成長を祝う”
そんな一日になればいいなぁと願っています。